塩は、何を遠ざけ、何を招くのか
私たちは普段、玄関や気になる場所に塩を置いたり
葬儀から帰ると、塩をまいたり身を清めたりします。
また私たちの心のより所である日本神道では、
日常的に塩が清めに使われます。
ですので私たち日本人は当たり前のように
「塩に浄化作用がある」ことを知っています。
でも、ここで一つの疑問が生じます。
なぜ塩でなければいけないのでしょうか?
悪いものを追い払うなら、なぜ水ではなく塩なのか。
そして、もう一つ不思議なことがあります。
昔から日本では、店先などに「盛り塩」を置く習慣があります。
こちらは、邪気を払うため……と思いきや、実は人を招くための塩という説もあるのです。
ここから、塩の意外な物語が始まります。
人と塩の関係は、とても古く、神社本庁によれば、すでに日本神話で黄泉の国から戻った伊邪那岐命が海水で身を清めたという「禊」の話が伝えられています。
つまり、塩による清めの背景には、海の水で身を清めることができるという考え方があったということなのです。
さらに塩は、食べ物を腐りにくくするためにも使われてきました。
腐敗を遠ざけ、
身体を清め、
日常と非日常の世界を分ける。
こうした役割を塩が持つよう「穢れを遠ざけるもの」というイメージを持つようになったのでしょう。
ところが、盛り塩の話になると、塩はまったく反対の顔を見せます。
今度は、何かを追い払うのではなく、何かをこちらへ引き寄せるのです。
中国の故事には、牛車に乗った王を自分のもとへ引き寄せるため、牛の好物である塩を家の前に置いた女性の逸話があります。
「牛が塩をなめるために立ち止まれば、王もそこで立ち止まる」
そんな知恵から生まれたお話です。
この故事には複数の伝承があり、秦の始皇帝の話として紹介されることもあれば、晋の武帝の話として伝わるものもあります。
ですので、盛り塩の起源をはっきり決めることはできません。
しかし、この王を招いた女性の話から盛り塩が「客を招く」「福を招く」という意味で考えられるようになったというのは、まことに興味深いことです。
考えてみれば、
同じ塩なのに、
一方では悪いものを追い払い、
もう一方では良いものを招いている。
でも、この場合は矛盾とはいえないでしょう。
何かを手放さなければ、新しいものが入ってこない。
古い縁にしがみついたままでは、新しい縁を迎えられない。
嫌なものを遠ざけることと、幸せを招くことは、実は別々のことではないのです。
だから昔の人は、塩を置くときに二つの願いを託したのではないでしょうか。
「ここから先には、悪いものを絶対に入れない」
そして、
「ここからは、良いものだけを招き入れたい」
玄関に置かれた小さな盛り塩は、その二つの願いの境目にあるように見えます。
同様にもし今、あなたの人生がうまくいかないと感じているなら、
「何を引き寄せれば幸せになれるのだろう」
と考えるその前に、
「私は、いま何を手放す必要があるのだろう」
と考えてみるとよいでしょう。
それは人間関係かもしれませんし、
過去への執着かもしれません。
また「こう、あらねばならぬ」という頑固な思い込みかもしれません。
塩が私たちに教えてくれるのは、単純な「魔除け」の話だけではありません。
何かを遠ざけることと、何かを招くことは、表裏一体なのだという真理です。
だから盛り塩を見るとき、私はこう考えます。
これは「悪いものを追い払うための塩」なのだろうか。
それとも、
「これから入ってくるものを選ぶための塩」なのだろうか。
もしかすると、本当に大切なのは塩そのものではなく、
その塩を置いたタイミングで実は、
「これから、何を残し、何を迎え入れたいのか」
をあらためて考えてみるときなのかもしれません。
