運命学入門

陰陽原理の応用

「陰陽原理」の応用は、易の哲学と四柱推命の基礎を形成する重要な概念です。この原理は、古代中国に発祥し、宇宙のあらゆる事象を二元的な観点から解釈する方法論です。陰陽の原理では、世界の全てのものが相対的な関係によって理解されます。例えば、男と女、冷たいと熱い、上と下、右と左、静と動など、すべての事物は陰陽の観点から分類され、それぞれの特性や関係性が説明されます。

この原理によれば、男性は一般的に陽に分類され、女性は陰に分類されます。しかし、陰陽はそれぞれの性質を固定的に定義するものではなく、二つの要素を比較した際の性質の違いに基づいて名付けられています。例えば、同じ男性でも、活発で行動的な性格の人は陽性とされ、静かで思慮深い性格の人は陰性とされることがあります。これは、陰陽が固定的な属性ではなく、相対的な関係性に基づいて理解されるべきものであることを示しています。

この陰陽の原理をさらに発展させると、宇宙のあらゆる事象を陰陽の無限のパターンで捉えることが可能になります。紀元前2500年頃の古代中国で、伏義(または伏儀、一説には中国の民族名)という人物(または集団)は、この原理に基づいて八卦(はっけ)と呼ばれる八つのパターンを導き出しました。その後、これらの八卦から64のパターン(六十四卦)が展開され、易の基本構造が形成されました。

四柱推命は、この陰陽原理を五行(木、火、土、金、水の五つのエネルギー)という生滅理論に応用し、干支(十干十二支)のパターンを用いて命式または推命式を作成します。この命式は、個人の先天命、すなわちその人が生まれ持った運命や性質を客観的に示すものです。四柱推命の占師は、この命式をもとに、各流派独自の判定法や長年の経験から得られたインスピレーションを組み合わせ、個人の運命や性質を鑑定します。

陰陽原理の応用は、個人の性格や運命、人間関係、健康、キャリアなど、人生の多くの側面を理解するための重要なツールです。この理論は、単なる哲学的概念に留まらず、日常生活における実践的な知恵として、また、個人の運命や可能性を理解するための重要なガイドとして、今日も多くの人々によって用いられています。陰陽の原理に基づく分析は、人生の様々な局面において重要な洞察を提供し、より良い決断を下すための参考となります。また、四柱推命におけるこの原理の応用は、個人の運命をより深く理解し、その人生を最大限に生きるための羅針盤となるのです。

運命の3パターン

運命学においては、人間の運気には初年、中年、晩年運の3種類が存在し、これらは人生の各段階における吉運の流れを表しています。この分類により、人生のどの時期に吉運が訪れるかを理解することができます。初年運は、だいたい30歳までの期間を指し、この時期に金銭や物質的な面で成功を収める人々がこのカテゴリに含まれます。初年運の人は、人生の前半部分で精神的、物質的な恵みに恵まれる傾向があります。そのため、アイドルやエンターテイメント業界で成功を目指す人々にとって、初年運であることは非常に重要です。

次に中年運は、おおよそ30歳から50歳くらいまでの期間を指します。この年代に至ってから経済的な安定や成功を得ることが一般的です。例としては、漫画家の青木雄二さんが挙げられます。青木さんは20代の頃、水商売の店員として働きつつ漫画を描いており、一度雑誌のコンテストで入賞しましたが、その後はデザイン関係の会社を起こして失敗しました。しかし、40歳を過ぎてから再び漫画家を目指し、「ナニワ金融道」で大成功を収め、知名度を高めました。

最後に、晩年運は50歳以降に開運する人を指し、この運気の人は長い間待つ必要があります。吉運が訪れるまでは、大きな成功を収めることは難しいからです。米国の有名人で、マクドナルドの創業者レイ・クロックは、50歳を過ぎてから事業を始め、最終的に大金持ちとなりました。また、ケンタッキーフライドチキンのカーネルサンダースも、多くの人が引退を考える年齢でビジネスを始め、成功を収めました。

これらの例からわかるように、努力や信念も重要ですが、物事が成就するには「タイミング」という要素が不可欠です。したがって、自分がどの運命学のパターンに属しているのかを早期に理解することが、人生計画を立てる上で非常に重要です。知ることで、自分の人生における最適な行動計画を立て、最大限の成果を得ることができるでしょう。運命学は単なる占いではなく、自己の人生をより良く理解し、自分に最適な道を見つけるための重要な手段となります。

四柱推命の命式は宿命論を肯定しない

占い師が四柱推命で占うときは、命式というものをつくります。

命式とは正しい生年月日、生時をいったん干支に置き換え、そこから五行理論により各宿命星十二運星、吉凶を暗示する特殊星などを導き出しだしたもので、依頼者の現状や過去の状況を聞きながら自己の適性は何かということ、また未来に起こりうる凶事の可能性や盛運期、衰運期なども推し測りながらそれなりの対策を講じ、大過を未然に防ぎ人生を平穏無事に過ごしていくための手がかりにします。

易者に凶命と宣告されたにもかかわらず宿命転換して晩年を幸福に過ごした人物の実例ですが日本では「水野南北」という江戸時代の観相家(人相、手相などの占師)が有名です。

この先生は「南北相法大全」という人相術のバイブルを著わしており現代の観相家が少なからず影響を受けている大家なのですが、そのような大先生も幼名は熊太郎といいました。

名は体を現すというように熊のように気性が荒く、10才で飲酒、喧嘩は年がら年中、挙句に酒代のため窃盗をはたらき牢屋行きという、まるで悪ガキを絵に描いたような子供でした。

牢屋からでた後で熊太郎は、ある人相の先生に「剣難の相がでてます、あと一年の命です。」と言われました。

剣難とは喧嘩や何らかの理由で危害を被ることを意味していますが、出家して僧侶にでもなれば他人と争うことも無いにちがいないと考えたのでしょう、その先生は熊太郎に出家を勧めました。

熊太郎は寺に行って入門を希望しましたが禅寺の住職は(禅僧は粗食をとりながら修行するので)一年間、麦と大豆だけで過ごすことが可能であれば入門を許可するといいいます。熊太郎はその通り麦と大豆の食事を実行することにいたしました。

一年たってから、最初に「剣難の相あり」と忠告してくれた占師に再会すると「剣難の相は消えてますよ何か徳を積みましたね?」といわれ食事のことを話すと、それが原因であるといわれました。

出家の必要がなくなった熊太郎は観相家の道を志し、前述のような後世に名を残すほどの大家となります。

南北は自らの経験をもとに「食物が人間の運命を左右する」というテーマで「相法極意修身録」という書物を著わし食生活の大切さを説きました。

もう一つの例は中国、明時代の官僚で袁了凡「えんりょうばん」という方が息子のために書き著わした自伝で「陰隲録」(いんしつろく)という書物が昔から有名です。

「立命の書 陰隲録を読む」という本で安岡正篤師がわかりやすくこの書物の内容を講義しております。運命学を理解する上でたいへん参考になりますので、一読をお勧めします。

さて、以下は安岡師が著書で紹介した「陰隲録」(いんしつろく)のあらすじです。

袁了凡は父親を幼い時に亡くし母親の手で育てられます。

最初、袁了凡は官吏に成りたかったのですが、経済的な理由で母親に医者になるように言われ官吏をあきらめていました。

ところがある日、孔という老人が袁了凡の前にあらわれて「あなたは官吏になる適性がある」と告げ試験の準備を勧めます。

最初のうち袁了凡はこの孔老人のいうことを信じませんでしたが
他のことを占ってもらったところ、あまりによく当たるので、孔老人を信じてみる気になり再び官吏を目指して試験勉強を始めました。

孔老人は了凡の一生を占って「試験に何番で受かるだろう」ということや「子供が出来ずに死ぬ」ということまで教えます。

その後、了凡は試験に老人の予言どおりの順番で合格しました。
そしてそれからも次々と老人に予言されたとおり人生が展開していくので、了凡はすっかり宿命論者になります。

ところがある日、禅寺で座禅を組んでいるとき、雑念が全くみられないということで寺の住職雲谷禅師にほめられました。すると了凡は自分は一生の運命が全て決まっているということがわかっているから雑念など浮かびようがないと答えます。禅師は了凡が真実を悟って無念無想の境地に入っていたのではないことがわかって、笑いながら「なんだ凡人でしたか」といいいました。

禅師は了凡に「人間の吉凶禍福というものはみんな心が作るものなんだから運命があらかじめ決まっているわけではない。あなたが占いどおりの人生を歩んできたということは自分の心を制して無心にする後天的な努力をしなかったのだから凡人というよりほかない。」という意味のことを告げて了凡に宿命転換の方法を授けました。了凡がこれを実行しつづけると最初に老人に占われた運勢が悉(ことごと)くはずれるようになり、絶対授からないといわれた子供も授かり、寿命さえのび長生きしたといいます。

雲谷禅師が授けた宿命転換法というのは一言でいうと「積徳行」です。

積徳とは読んで字の如く徳を積むということです。それでは徳とは何でしょうか。わたしの辞書には「修養によって身についた品性」とあります。

すなわち雲谷禅師は了凡に修養によって品性を身につけることを勧めたのでした。

それではどんなことが修養になるのかと申しますと「善事をすすんでする」ということなのです。しかしこの善事というものが一体、何なのかわからないのでは話しになりませんので善事というのは、これで悪事というのはこれであると善悪の規準を記した「功過格」(くかかく)というものを授けました。(功は善、過は悪、格は規準のこと)

例えば「一人の死を救免」した場合、百善に相当するとしています。
一人死にそうな人を助けたら、今風にいうと100ポイントに値するということです。了凡の場合とりあえず最初は善事を三千行うこと、3000ポイントを目標にして実行したのです。

参考に「功過格」をご覧になりたい方はこちらにあります。→クリック

この二つの例は単に食事法や道徳だけでなく先天命を動かしがたい宿命ととらえると進歩が止まってしまうということも教えています。

南北先生も了凡さんも占いを飛躍のきっかけに転換したからこそ後天的な発展があったのだと考えます。

以上のことは是非ともみなさんが鑑定を受けられた際の参考にして頂きたいと思います。

平運こそ最上の運気なり

運命学、特に四柱推命において、最も理想とされるのは「平運」、つまり普通の運勢です。この考え方は、平穏無事な生活を何よりも価値あるものと見なします。例えば、仕事で大きく出世することや名声を得ることよりも、仕事運や家庭運が程よく、子孫が健康であり、大きな災難に見舞われないことを理想とします。

運命学の観点からは、運が不調で困窮することは望ましくありませんが、一方で運気が過度に強く上昇することも好ましくないとされます。その理由は、どちらの状況も生活のバランスが崩れることに他ならないからです。運気が過度に強いと、人生において過剰な期待や過大な責任が生じ、結果として精神的な重圧や不均衡を招きます。一方、運気が低迷すると、困難や障害に直面しやすくなり、人生の質が低下する可能性があります。

古代中国では、黄石公という伝説的な仙人が、諸葛孔明に「素経」という書物を授けました。この書物は後に広く普及し、「吉といえば足るを知るより吉はなし」という教えを含んでいます。これは、過度な欲望や野心を抑え、現状に満足し、バランスを保つことの重要性を説いています。四柱推命を含む東洋の運命学では、このようなバランスの取れた状態、すなわち過度に吉運でも凶運でもない状態を尊重します。

運命学は、一個人の短い人生だけを見る学問ではありません。むしろ、その人の先祖から自分、さらには家族や子孫に至るまで、三世にわたる運命のバランスを深く探求する学問です。これは、個々人の運命が単独で存在するのではなく、祖先や後代との関係性の中で形成されるという考え方に基づいています。運命学は、個人が直面する運命のみならず、家族や社会との関係性の中でどのように運命が形成され、展開されるかを理解するための深い知識と洞察を提供します。

したがって、運命学における運命の理解は、単に個人の運勢を見ることに留まらず、その人の生活や家族の歴史、さらには将来の世代にまで影響を及ぼすことを認識しています。このような運命学の教えは、個人が自己の人生を考える上で、また家族や社会の一員として自己の位置を理解する上で、非常に重要な指針となります。

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