運命学のお話

ご注意:長い文章はお時間のあるときにお読み下さい。

陰陽の原理

東洋の運命学の基本となる考え方です。

推命学による適性診断は古代中国に発祥した易の考え方をとりいれています。

易の世界では、この宇宙のありとあらゆる全ての事象を「陰陽の原理」というもので解き明かします。簡単にいいますと男と女、冷たい熱い、上と下、右と左、静と動というようにすべての事物をどこまでも相対的にとらえていきます。

ですから、単純に男だから陽で女だから陰と区別することもできるのですが、同じ男性でも活発で行動的性格をもつ人を陽性、静かで思慮深い人を陰性と捉えていくこともできます。陰と陽という固定的な性質があるのではなく、2つのものを比較した場合の性質の違いに対して整理して考えるためにつけられている名称にすぎないのだということです。

こうして「陰陽の原理」を押し広げていくと限りなく陰と陽のパターンでこの宇宙の一切をとらえることができるようになります。
紀元前二千五百年ほど前の古代中国において伏儀(ふくぎ)という人(一説には個人名ではなく中国の民族の名)がこの陰陽の原理に基づき八つのパターン「八卦」を導き出しました。
後にこの「八卦」から、六十四のパターン(六十四卦)が導き出され、易の基本ができあがりました。

さて、四柱推命はこの「陰陽の原理」を「五行」(ごぎょう)という「エネルギーの生滅理論」へ応用し干支というパターンによって「命式」または「推命式」といって個人の「先天命」を客観的にあらわす表を作成ます。四柱推命の占師はこの「命式」を各々の流派独自の判定法(といっても基本は同じですが)、長年の経験から得られたインスピレーションなどもとに鑑定します。

運命の3パターン

運命学では人間の運気には初年、中年、晩年運の3種類あり誰でもそのうちのどれかにあてはまると考えます。

これは吉運のめぐる時期が人生のどの辺りかということです。初年とはだいたい30才までの年代をいい年が若いけど金銭や物質的なことで成功している人はこの初年運です。初年運のひとは人生の前半で精神的にも物質的にもあらゆる面で恵まれます。ですからアイドルになりたい人などは容姿がいくら良くても初年運でなければなりません。

中年運は30才から50才くらいをいいます。この年代になってから経済的な安定を得ます。

最近の有名人ではマンガ家の青木雄二さんがこのパターンです。

青木さんは20代の頃、水商売の店員などしながらマンガを書いて一度雑誌のコンテストで入賞しました。

しかしその後、すぐにマンガ家にならずにデザイン関係の会社を起こしますがうまくいかずに廃業し、40才を過ぎた頃に再起をかけて書いたマンガが雑誌のコンテストに入賞して念願のマンガ家デビューを果たしました。

その後は、みなさんがご存知の「ナニワ金融道」の大ヒットにより一躍人気作家となり著名人としても広く一般に知られるようになりました。

さて晩年運つまり50才以降に開運する人は晩年までとにかく待つしかないという宿命です。

吉運がめぐってこない限り大きな開運をみることはまずないからです。

米国の有名人ですがハンバーガーで有名なマクドナルドの創業者のレイ・クロックという人は50才過ぎてから創業して全米屈指の大金持ちになりました。ケンタッキーフライドチキンのカーネルサンダースもほとんどの人が余生を楽しむため引退しようという時期に創業しています。

こうしてみると、努力も信念も確かに必要なのですが物事が成就するには時期というものがあるので自分がどのパターンなのかはやく知る必要があります。

四柱推命の命式は宿命論を肯定しない

占い師が四柱推命で占うときは、命式というものをつくります。

命式とは正しい生年月日、生時をいったん干支に置き換え、そこから五行理論により各宿命星十二運星、吉凶を暗示する特殊星などを導き出しだしたもので、依頼者の現状や過去の状況を聞きながら自己の適性は何かということ、また未来に起こりうる凶事の可能性や盛運期、衰運期なども推し測りながらそれなりの対策を講じ、大過を未然に防ぎ人生を平穏無事に過ごしていくための手がかりにします。

易者に凶命と宣告されたにもかかわらず宿命転換して晩年を幸福に過ごした人物の実例ですが日本では「水野南北」という江戸時代の観相家(人相、手相などの占師)が有名です。

この先生は「南北相法大全」という人相術のバイブルを著わしており現代の観相家が少なからず影響を受けている大家なのですが、そのような大先生も幼名は熊太郎といいました。

名は体を現すというように熊のように気性が荒く、10才で飲酒、喧嘩は年がら年中、挙句に酒代のため窃盗をはたらき牢屋行きという、まるで悪ガキを絵に描いたような子供でした。

牢屋からでた後で熊太郎は、ある人相の先生に「剣難の相がでてます、あと一年の命です。」と言われました。

剣難とは喧嘩や何らかの理由で危害を被ることを意味していますが、出家して僧侶にでもなれば他人と争うことも無いにちがいないと考えたのでしょう、その先生は熊太郎に出家を勧めました。

熊太郎は寺に行って入門を希望しましたが禅寺の住職は(禅僧は粗食をとりながら修行するので)一年間、麦と大豆だけで過ごすことが可能であれば入門を許可するといいいます。熊太郎はその通り麦と大豆の食事を実行することにいたしました。

一年たってから、最初に「剣難の相あり」と忠告してくれた占師に再会すると「剣難の相は消えてますよ何か徳を積みましたね?」といわれ食事のことを話すと、それが原因であるといわれました。

出家の必要がなくなった熊太郎は観相家の道を志し、前述のような後世に名を残すほどの大家となります。

南北は自らの経験をもとに「食物が人間の運命を左右する」というテーマで「相法極意修身録」という書物を著わし食生活の大切さを説きました。

もう一つの例は中国、明時代の官僚で袁了凡「えんりょうばん」という方が息子のために書き著わした自伝で「陰隲録」(いんしつろく)という書物が昔から有名です。

「立命の書 陰隲録を読む」という本で安岡正篤師がわかりやすくこの書物の内容を講義しております。運命学を理解する上でたいへん参考になりますので、一読をお勧めします。

さて、以下は安岡師が著書で紹介した「陰隲録」(いんしつろく)のあらすじです。

袁了凡は父親を幼い時に亡くし母親の手で育てられます。

最初、袁了凡は官吏に成りたかったのですが、経済的な理由で母親に医者になるように言われ官吏をあきらめていました。

ところがある日、孔という老人が袁了凡の前にあらわれて「あなたは官吏になる適性がある」と告げ試験の準備を勧めます。

最初のうち袁了凡はこの孔老人のいうことを信じませんでしたが
他のことを占ってもらったところ、あまりによく当たるので、孔老人を信じてみる気になり再び官吏を目指して試験勉強を始めました。

孔老人は了凡の一生を占って「試験に何番で受かるだろう」ということや「子供が出来ずに死ぬ」ということまで教えます。

その後、了凡は試験に老人の予言どおりの順番で合格しました。
そしてそれからも次々と老人に予言されたとおり人生が展開していくので、了凡はすっかり宿命論者になります。

ところがある日、禅寺で座禅を組んでいるとき、雑念が全くみられないということで寺の住職雲谷禅師にほめられました。すると了凡は自分は一生の運命が全て決まっているということがわかっているから雑念など浮かびようがないと答えます。禅師は了凡が真実を悟って無念無想の境地に入っていたのではないことがわかって、笑いながら「なんだ凡人でしたか」といいいました。

禅師は了凡に「人間の吉凶禍福というものはみんな心が作るものなんだから運命があらかじめ決まっているわけではない。あなたが占いどおりの人生を歩んできたということは自分の心を制して無心にする後天的な努力をしなかったのだから凡人というよりほかない。」という意味のことを告げて了凡に宿命転換の方法を授けました。了凡がこれを実行しつづけると最初に老人に占われた運勢が悉(ことごと)くはずれるようになり、絶対授からないといわれた子供も授かり、寿命さえのび長生きしたといいます。

雲谷禅師が授けた宿命転換法というのは一言でいうと「積徳行」です。

積徳とは読んで字の如く徳を積むということです。それでは徳とは何でしょうか。わたしの辞書には「修養によって身についた品性」とあります。

すなわち雲谷禅師は了凡に修養によって品性を身につけることを勧めたのでした。

それではどんなことが修養になるのかと申しますと「善事をすすんでする」ということなのです。しかしこの善事というものが一体、何なのかわからないのでは話しになりませんので善事というのは、これで悪事というのはこれであると善悪の規準を記した「功過格」(くかかく)というものを授けました。(功は善、過は悪、格は規準のこと)

例えば「一人の死を救免」した場合、百善に相当するとしています。
一人死にそうな人を助けたら、今風にいうと100ポイントに値するということです。了凡の場合とりあえず最初は善事を三千行うこと、3000ポイントを目標にして実行したのです。

参考に「功過格」をご覧になりたい方はこちらにあります。→クリック

この二つの例は単に食事法や道徳だけでなく先天命を動かしがたい宿命ととらえると進歩が止まってしまうということも教えています。

南北先生も了凡さんも占いを飛躍のきっかけに転換したからこそ後天的な発展があったのだと考えます。

以上のことは是非ともみなさんが鑑定を受けられた際の参考にして頂きたいと思います。

平運こそ最上の運気なり

運命学の中でもとくに四柱推命は平運(ふつうの運勢)を最上とします。

つまり平穏無事がなによりだというわけです。

仕事で出世して名を挙げるより仕事運も家庭運もほどほどで、家の後継ぎ(子孫)が健康で大きな災いがなければそれで良しとするのです。

運が悪くて落ちぶれてしまうのも考え物ですが、運気が強く勢い上昇しすぎるのも良いこととはいえません。なぜなら両者とも均衡(バランス)を欠いた状態にほかならないからです。

その昔、黄石公という仙人が諸葛孔明に「素経」という書物を授けました。「素経」は後に一般に流布しましたがその中に「吉といえば足るを知るより吉はなし」という一説があります。

四柱推命もふくめた東洋の運命学では基本的に吉運過ぎず、かといって悪くもないバランスのとれた状態を尊びます。

運命学というものは自分自身一代限り見て運が良くなってそれでおしまいというものではなく先祖、自分や家族、子孫という三世にわたる運命のバランスを深く追求していく深遠な学問なのです。

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